生臭坊主という言葉があります。
『スッタニパータ』に、「なまぐさ」という段があります。
中村元先生の岩波文庫『ブッダのことば』からの引用です。

 

「生物<いきもの>を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、だますこと、邪曲を学習すること、他人の妻に親近すること、──これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。(242)

 

この世において欲望を制することなく、美味を貪り、不浄の(邪悪な)生活をまじえ、虚無論をいだき、不正の行いをなし、頑迷な人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。(243)

 

粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみする性で、なんびとにも与えない人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。(244)

 

怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと、極端の傲慢、不良の徒と交わること、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。(245)

 

この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し、密告をし、法廷で偽証し、正義を装い、邪悪を犯す最も劣等な人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。(246)

 

この世でほしいままに生きものを殺し、他人のものを奪って、かえってかれらを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。(247)

 

 

自己弁護のために引用したのではありません。
この言葉を読めば、精進とはお肉を食べるか否かよりも、自身の生き方を問われていることに気づくでしょう。

私たちは精進料理と聞くと、肉魚を用いないものが精進料理だ思いますが、本当の精進とは何でしょうか。
精進とは佛道という道を、精しく進む事であります。
精しくとは、つまびらかにする。入念に事にあたる。
つまり、ひとつひとつを丁寧に修し行じる。
いのちをいただく、このことを、このときを、丁寧に修し行じていただきたいものです。

 

余談ですが、通夜のあとの会食は「通夜ぶるまい」。
葬儀のあとの会食は「精進落とし」。
「精進落とし」は四十九日後の忌明け後に行われるものでしたが、現在では葬儀の後の会食をそのように称しています。

ネットには「精進あげ」という記述も散見されますが、「精進落とし」という表現が本来のものと聞きました。