産経新聞のコラム、「透明な歳月の光」(2017年2月8日)の抜粋です。著者、曽野綾子さんが、三浦朱門さんを悼む文です。

 

たくさんの人たちの配慮に包まれて、夫はこの世を去った。口も態度も悪い人だったから、改めて感謝もしなかっただろうけれど、彼の生涯が平穏そのもので明るかったのは、よき人々の存在に包まれていたからである。

 死の朝の透明な気配を私は忘れない。私は前夜から病室に泊まっていたが、夜明けと共に起き出してモニターの血圧計を眺めた。何度も危険な限界まで血圧が下がっていたが、その朝は63であって呼吸も安定していた。朝陽が昇り始め、死はその直後だった。

 病室は16階だった。西南の空にくっきりと雪をかぶった富士が透明に輝いており、自動車も電車も通勤時間に合わせて律義に走り回っていた。それが夫の旅立ちの朝であった。

 

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