道程   高村光太郎

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ 父よ

僕を一人立ちさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄を僕に充たせよ

この遠い道程のため

この遠い道程のため

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この詩は、青年のためのものでしょうか。いえ、今年四八歳となる私でも、「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」ことには変わりがないのです。

 

たしかに、青春時代に宿った名状しがたい不安や悩みこそ感じなくなりました。けれども、それとは異なる錆びた苦味や悔悟の念と背中合わせです。

 

若かりし頃に抱いた思想や哲学で人生を貫く方もいます。また、その一方で、暮らしの経験値が、その思想や哲学を超えてしまうこともあるでしょう。「この遠い道程」の行きつくところは、人それぞれに異なります。

 

私は、禅をはじめたころ「成仏道」という言葉とめぐり合いました。随分と苦しい思いをした時期でしたが、原田祖岳老師の著書『人生の目的』にあった「吾人は成仏道の過程にある」という一文をみて、身体が震えるような感銘を受けました。
他人には話せないような「今・ここ」でも、自分は仏になる道を歩んでいると受け止めた時、この現状にも意味があり、この嫌で厭でたまらない自分にも光があるのかもしれない、と思えたのです。