おばあちゃん    金子光春

 

 『若葉』のおばあちゃんは
もう20年近くもねてゐる。
辷り台(すべりだい)のやうな傾斜のベッドに
首にギプスをして上むいたまま。
 

 はじめはふしぎさうだったが
いまでは、おばあちゃんときくと
すぐねんねとこたへる『若葉』。
 

 なんにもできないおばあちゃんを
どうやら赤ん坊と思ってゐるらしく
サブレや飴玉を口にさしこみにゆく。
 

 むかしは、蝶々のやうに翩々(へんぺん)と
香水の匂ふそらをとびまはった
おばあちゃんの追憶は涯なく、ひろがる。
 

 そして、おばあちゃんは考へる。
おもひのこりない花の人生を
『若葉』の手をとって教へてやりたいと。
 

 ダンディズムのおばあちゃんは
若い日身につけた宝石や毛皮を
みんな、『若葉』にのこしたいと。
 

 できるならば、老の醜さや、
病みほけたみじめなおばあちゃんを
『若葉』のおもひでにのこすまいと。
 

 おばあちゃんのねむってる眼頭に
じんわりと涙がわき 枕にころがる。
願ひがみなむりとわかってゐるからだ。