私という円を書いて、他者という円を書く。
他者とは、例えば家族であり、地域社会であり、職場や学校であり、世間のこと。
二つの円の重なりあったところが、いわゆるの人間関係。

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重なり合った赤い色だけを問題にしてしまう私たち。
でも、もうひとつ、二つの円の在りようを許容する大きな大きな「いのち」があることを忘れてはいけないと思うのです。

 

生命(いのち)は     吉野 弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい

花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で 虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分 他者の総和

しかし 互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず 知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように 世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない