彼は、戦前に、極貧の中、二男と三女を3歳と1歳で病気で亡くした。

 

そして、戦後、長女を肺結核で21歳で失う。
その死を非常に悲しみ、仏前に、飼っていた鶏の卵をお供えしていた。

 

その翌年に書かれた絵 「仏前」
供え物の卵と、蝋燭立を描いている。卵は命の糧である。

 

彼の名は、熊谷守一。