仏教界隈5 比丘の口
昼時の新幹線に乗り合わせたご婦人から「お坊さんなのにお肉を召し上がるのですね」と声をかけられました。私が新杵屋の“牛肉どまん中”を取り出したからでしょう。また、僧侶に精進潔斎を期待し、失望しての発言なのでしょう。
弁当のふたをあけずに私は、「ええ、なんでも頂戴いたしますよ」とお応えしました。そして、「比丘の口は竈(かまど)の如し、私もそんなふうに在りたいと思っているのです」と言葉を添えました。
比丘とは修行者のことです。つまり、「比丘の口は竈の如し」とは竈がその燃料の善し悪しを分別しないように、比丘もまた、目の前にある食べ物の見た目や味の善し悪しを分別しないという意味です。更に進一歩すれば、ご縁あって現れたものは潔く頂戴していくということにも繋がるでしょう。
これは、食材の話だけではありません。私の眼前にある事柄や感情も潔く受け取っていく。たとえ辛く悲しいことであっても、不都合なことであっても、まずきちんと受け取るという態度を保ちたいと思っております。
結局、“牛肉どまん中”は自宅で美味しくいただきました。