「あと20年だと思うのです。親父は76歳でした。あと20年なんだと痛感したら、人生のまとめと言うのか、自分が生まれてきた意味を知りたいと思うようになりました。でも、どうしたら、その答えが見つかるのでしょうか」
父親の死から彼が得たもの、その一つは、己の死生観を逞しくする契機でした。死を見つめることによって、生の意味を探し求める時間でした。
私は、「人生の最期に、いや、叶うならば今ここで、目に映る景色や出来事が美しいな、素晴らしいな、素敵だなと感じたくはありませんか」と問いかけました。
目を輝かせた彼に、「多くの困難を抱えながらも、‘樹々は美しい。この世は美しい。人の命は甘美である‘ と世界を眺め続けた方がいることを私は知っています。正直に申し上げて、日々の事柄や沸き起こる感情に振り回されている私ですが、その方がいたことで、どんなことがあっても生き抜いていこうと思えるのです」と伝えました。
すかさず彼は、「その方とは誰ですか」と尋ねました。
私は、「先ほどあなたが本堂でお線香を手向け、手を合わせた先に、その方はいらっしゃいますよ」と応えました。