本日はご多用の中、また、武漢発のウイルスが流行しているなかにおいても、お集まりいただきまして、本当にありがとうございます。
皆さまのおかげをもちまして、第2回グリーフケア講演会 「それでも、生きる」を胸に を開催することができました。感謝申し上げます。
今年はウイルスと対峙する一年でした。
私たちには、「新しい生活様式」が求められました。もちろん、感染を防ぐことが第一です。
ですから、この講演会においても、人数を去年の4分の1に制限し、考えられる配慮と対策をして行っております。
特に、講師の荒木先生は浦安に住み、神田の会社に勤務されていらっしゃいます。そこで、金曜日にPCR検査を受けていただき、土曜日に陰性との結果がでたうえで、郡山に来ていただきました。
感染を防ぐこと。
それは、自分自身の命を守ることであり、同時に、他者の命を守ることにもつながっていることを、共に心に留めて起きたいのです。
それともう一つ、私たちは、この新型ウイルスに問われていることがあります。それは、何か。そう、それは、優先順位です。つまり、「あなたは何をしたいのか」、そして、「あなたは何を大切にして生きていくのか」ということです。
私事を申し上げて恐縮ですが、私はこの一年は、本当にくたびれ果てた年でした。なぜならば、今まで通りのやり方を見直し、新たなスタイルを模索しなければならなくなったからです。
講演会、法話会、わかちあいの会、ですカフェ、坐禅会、いづれも、人を集め、人の話を聞き、人に話すということが制限されてしまった。だから、予定していた行事ができない、そして、それを新しく作り直すことを考えるのだけれども、形が見えてこない。
こんなジレンマが積み重なっていきました。
世間では、ズームなどを使っての会議や講演会などを行っているようですが、私はその流れには乗れませんでした。
というのも、私は目が不自由でして、長時間、パソコンに向かう事が苦痛なのです。だから、私にはできなかった。
そうすると、なんだか社会に置き去りにされたような気持ちにもなりました。
ですから、この講演会の開催についても悩みました。
今回は中止しよう、とも考えましたし、苦手なズームを使っての開催にしようかとも考えました。
しかしながら、ある人の声がきっかけとなり、やっぱり規模を縮小してでも開催しようと思ったのです。
それは、先日ご主人をがんで亡くされた奥様との出会いでした。
ご主人は今年9月にステージ4の肺がんが見つかりました。そして、医師に余命1年を宣告され、治療をすれば、もう少し生きる事が叶うだろうと告げられました。
そこで、10月から抗がん剤の治療がはじまった。
でも、こんな時節だから、病院はお見舞いや面会を禁じています。
だから、電話やLINEでご主人と連絡していたそうです。
けれども、やはり心配なのです。ご主人に会いたい、ご主人の顔がみたいと思って過ごしていたそうです。
そして、治療が上手くいけば、二人の思い出の場所にもう一度旅行しようと計画をして、その日が来ることを願っていた。
でも、10月末に容体が急変したのです。
そして、奥様と娘さんが病院に呼ばれて、ご主人に会うことはできたのだけれども、ご主人は意識不明で話すこともできなかった。それから、一度も意識を取り戻すことがないまま、ご主人はお亡くなりになられました。
大きな悲嘆を抱えながら、ご葬儀の打ち合わせをするなかで、奥様がふと漏らされた言葉に、私はハットしました。
奥様は、こう仰いました。
「その人の息づかいを感じたり、その人の佇まい触れたりしながら、一緒に時間を過ごすことこそが人生で大切なことじゃないかなと思う」
どうだろう。
パソコンの画面には、その人の息づかいや佇まいが映るでしょうか。
どんなに精密なカメラをもってしても、私たち人間の感性以上に、出会えた者が交わす濃やかな時間を感じることはできないと思うのです。
とはいうものの、こんな時期に、人が集まる企画をするのはと批判もあるでしょう。リモートでやればという意見もあるでしょう。
でも、思うのです。
こんな時期だからと後ろ向きに引きこもるのではなく、こんな時期だからこそ、志のある人間同士が顔をあわせて、人生の意味や命の在り方について学びを深めることが必要なんではないだろうか、と。
そんな思いの中で、この講演会を開催することを決意しました。また、そんな思いが皆さんに響いたからこそ、お集まりいただけたと考えております。
一般社団法人 悲しみを佛の智慧に学ぶ会では、死生観を養う場と時間を提供し、ご縁ある方々とつながっていきたいと願っております。今後とも、ご支援とご協力をお願い申し上げます。
それでは、どうぞ楽しんで、このお時間をお過ごしください。