高村智恵子さんは1938年に53歳で亡くなりました。
10年を超す梅酒を口に含む光太郎。
そのひと時は、共に過ごした日々を愛おしむと同時に、智恵子と出会いなおすための時間でもあったと思います。
故人と出会いなおす、そして、それまでの関係を再構築する視点を持つことを覚えておきたいものです。
梅酒 高村光太郎
死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱んで光を葆(つつ)み、
いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒涛の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻きにする。
夜風も絶えた。
『智恵子抄』