大切な方との死別。
それがどんなに悲しく辛くても、体は勝手に呼吸を止めはしません。どんなに空しくても、朝になれば、また、日が昇ります。世界中のお花やお線香を買い占めてお供えしても、多くの僧侶を呼んで法要をしても、その人は決して生き返ることはありません。
遺された私たちが故人様にできること、それは供養だけでしょう。

 

供養という言葉は、「供える」と「養う」という文字で成り立っています。
では、何を供え、何を養うのでしょうか。

 

何をお供えをするかは、すぐに答えが出ます。
お花をお供えし、お線香をお供えする。生前お好きだった食べ物、季節の果物、お菓子をお供えする。私が僧侶になってたいへん驚いたことの一つに、嚫金<しんきん>があります。それは、三仏忌<お釈迦様の涅槃・降誕・成道>や祖師忌などで、お布施を集めてお供えするというものです。

 

次に、養うとは何を養うのでしょうか。
私は思うのです。それは、記憶を養うのではないか、と。
記憶を養うとは、つまり、故人様を忘れないこと。生前のお姿を忘れない、一緒にすごしたあの時間を忘れない。そして、お別れした時のことを忘れない。
記憶を養うことによって、故人様から「人生において、本当に大切なもの」を学ぶ。それが、供養の養だと共に心得たいものです。

 

あの人の佇まいを感じながら、お水と食べものを供えたい
共に過ごした年月の素晴らしさを、お花で飾りたい
今・ここに、一緒にいることを信じ、灯りをともしたい
仏と共にある事を念じながら、この香りを届けたい
あの声が聞こえなくとも・・・私は話しかける