佛国寺での摂心で、湛玄老師が提唱される前に「大智禅師発願文」を一同で読誦していました。
「大智禅師発願文」
願わくは、我れ此の父母所生(ぶもしょしょう)の身を以て、三宝(さんぼう)の願海(がんかい)に回向(えこう)し、一動一静(いちどういちじょう)、法式(ほっしき)に違(い)せず、今身(こんじん)より仏身(ぶっしん)に至るまで、その中間(ちゅうげん)に於て、生生世世出生入死(しょうしょうせせしゅっしょうにっし)、仏法を離れず、在在処処、広く衆生を渡(ど)して疲厭(ひえん)を生ぜず、或は剣樹刀山(けんじゅとうざん)の上、或は鑊湯炉炭(かくとうろたん)のうち、唯これ正法眼蔵を以て重坦(じゅうたん)と為して、随処に主宰とならん、伏して願わくは、三宝証明(しょうみょう)、仏祖護念
<私訳>
父母から受けたこの身体を、今、大いなる仏法の世界に投げ入れれることを誓います。どんな生涯にあっても、どんな時代にあっても、仏の教えから離れることなく、ご縁ある方々と共に歩みます。 たとえ、剣の樹や刀の山の上の苦しみにあっても、鋼をも溶かす高炉の中にあっても、つまりどこにいたとしても、正法眼蔵を拠り所として生きてまいります。どうか三宝よ、灯を与えたまえ。仏祖よ、護りたまえ。
尚、「まんが日本昔ばなし」に「大智禅師と猿」という話があります。ご覧ください。