スピリチュアルケア師に認定されるには、120時間の実習が必要です。
上智大学グリーフケア研究所で40時間、春と夏にそれぞれ1週間の集中実習がありますので、残り80時間。それを、社会福祉法人なりた福祉会様にお願いし、随時通っております。
『大法輪』7月号、「あなたのための『修証義』入門」にその経緯を書きました。抜粋です。
先日、老人会でお話しをさせていただいた時、「杖をもたないと歩けなくなってしまった」「自分の人生はこれでよかったのかと思ってしまうことがある」「楽しみがみつからない」という告白がありました。そこに集われた方々が心情を吐露できたことに救いを感じながらも、応答に戸惑ってしまった私は、今こそ「老いる」ことを真剣に学ばなければならないという気持ちになりました。
知識としては私も、「老苦・病苦・死苦」を経験しなければならないことは承知しています。けれども、身体がだんだんと思い通りに動かなくなっていくなかで、優しく穏やかでいられるだろうか。物忘れをすることが多くなっていくなかで、信仰を持ち続けることは出来るだろうか。そして、自分で自分がわからなくなった時、世界は綺麗なものなのだろうか。老いる時間を得た人生は私たちに何をもたらしてくれるのでしょうか。
そんな問いと対峙するために私は、お寺の近くにある複合介護施設へ関わらせていただきたいとお願いにあがりました。その理事長先生は、当寺のお檀家さんです。先生は郡山市の企業に勤めていましたが、五十を半ばにして職を辞しました。なぜならば、父親の介護から看取りを病院で経験するなかで、「老いから逃げることはできない」と痛感され、「人の死に場所はどこだろうか」という疑問を得たからだそうです。そして、生まれ育った地域社会に介護施設を作り、それをプラットホームにして、老いや介護から命の姿を学ぶ場を地域全体で共有したいという願いを抱かれました。
その後、ご家族の理解のもと、神奈川県にある福祉関係の学校に通い、還暦を前にして社会福祉法人を設立。土地や財産を法人に寄付する形で念願の施設開所へこぎつけたのです。しかし、その直後、東日本大震災が起こってしまいました。職員も利用者も集まらず、機能は全く停止したままです。銀行に頭を下げる日々が続きましたが、でも先生は諦めませんでした。いえ、諦めるという言葉さえ思いつかなかった。初一念を胸に、ひた走ったそうです。そうして現在、この施設は地域になくてはならない存在となりました。