亡き人に 迷うなと 拝まれている この私    本夛慧

 

お盆の時節です。

 

私たちは、手をあわさずにはいられない気持ちを持っております。
そして、その気持ちを育てるところに、希望があると思うのです。

 

なぜならば、悲嘆の只中に身を置いたとしても、絶望だと思えるような状況に陥ったとしても、その場所で手をあわせ続けることによって、真実なるものからのはたらきかけを受け取ることもできるからです。