負けたことに負けるな
受験、就職、、、新たな始まりの準備の時節です。
喜びに包まれた瞬間を手にした人もいたでしょうし、望んではいない現実を突き付けられた人もいるでしょう。
A がBであっても
自分を変えたい人は、潜在意識やアファメーション。美味しい思いをしたい人は、シンクロニティや引き寄せの法則。今以上の自分になりたい人は、パワースポット巡りやハイヤーセルフ。これまでにあったことやこれから起こることを知りたければ、前世と転生やアカシックレコード。たしかに世の中には奇跡としか言いようのない物語も沢山ありますが、何よりもまず「今・ここ」にあるこの命こそが人智を超えたはたらきなのだと焦点を絞りましょう。
諸縁吉祥
「ああしたい、こうしたい」という私の願い。
けれども、現実は「ああでもこうでもなく」、予期しないもの。
AではなくBがやってくる。いや、Bを受け入れるしかない時がある。
「望みが叶えられないのは、お不動さまへの信心がたりないからだ」と
僧侶に言われ、毎週ご祈祷に通い続ける母親。
その望みとは、三十を過ぎた長男が引きこもりの生活から抜け出すこと。
「私の信心が至れば、お不動さまのお心と感応道交して奇跡を起こして くれる」と愚直に語る。
「お疲れではありませんか、必要なのは奇跡じゃなくて、現実的な対処 の仕方ではありませんか」と声をかけた時、泣き崩れた。
定年間近の男性公務員。管理職試験を受け続けたが、合格はなかった。
年下の者が上司となる口惜さ、劣等感と焦燥感、気鬱な日々、暗晦たる
不安へのアドバイスは、「結局はあなたの心次第」だと告げられた。
薬を処方されても、その心がどうにもならなくて、ついに病んだ。
「私はどうすればいいのですか」という丸投げの問いかけに、「自分を信
じるのではなく、人生を信頼してみませんか」と応えたが、言葉は天 井に漂っていく。
夫婦仲が悪く、結局離婚。ママが子どもを引き取っての新しい暮らし。
「パパが帰ってこない」と泣く小学生二年生の女の子。「私が悪い子だっ
たから」と自分を責める。「よく言い聞かせたのに」と慌てる親。
「君は悪くないよ」と強く否定をしても、涙が乾くことはない。
(略)
人生には、神や仏の前に跪いて一心に祈りたくなるような日もあります。その願いを叶えてもらえるのならば、何を差し出しても構わないという時もあります。けれども、覚えておきたいことはAという願いがBという結果になったとしても、私たちは生きていかなければならないということです。思い通りにいかなくても、結果が悪くても生き続けなければならない。なぜならば、私の命は私だけのものではないからです。そして、どんな事態に陥ったとしても、それが成仏道を深めるために様々な体験をしているのだ、と信受したいのです。
拙著『そのままのあなたからはじめる修証義入門』(雄山閣)より抜粋