死ぬのは いつも他人

私たちは自らの死を確認できません
つまり、私たちは自身の死を語ることはできません

死ぬのは いつも他人

他人のことだから 泣くことができるし悲しむこともできる
他人のことだから そこに自らが生きていく光を見つけることもできる

死ぬのは いつも他人